先日ある事件を追って刑事さんが来られました。私が保護司をさせていただいているので、私の担当している対象者の中に、変質者がいないか尋ねて来たのです。用件が済むと、その刑事さんが、「ところで人間の心は善でしょうか?悪でしょうか?」と質問をされるのです。私は寺の掲示板に


冷たい氷にもなれば
あたたかい湯にもなる

と書いておきましたので、その言葉を示し、変化するのは水だけではありません。私たち人間も佛にもなれば鬼にもなるのです。そして、歎異抄、第十三章の

「よき心のおこるも、宿善のもよほすゆへなり、悪事のおもはれせらるるも、悪業のはからうゆへなり、故聖人のおおせには、卯毛・羊毛の先にいるちりばかりも、つくるつみの宿業にあらずということなしとしるべし、・・・
我が心よくて殺さぬにはあらず、又害せじと思うとも、百人・千人を殺すこともあるべし」

と申された、親鸞聖人のお言葉を引用させていただき、お話をいたしますと、刑事さんは「やっと胸のつかえが取れました。又伺ってもよろしいでしょうか?」と言われ、喜んで帰って行かれました。帰られたあと、何か考え込んでしまいました。毎日、毎日、新聞に、テレビに悲しい恐ろしい事件が伝えられていますが、私も縁によっては何をしでかすか分からない自分ではないかと、考え込んでしまったのです。そうした自覚に立つと、他人の悪事も、罪は憎みながらも、人を憎まずの精神で接することができるのでありましょう。

合掌


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